現役時代と退職後になってからの大きな違いは、お金とどう向き合っていくかという視点の違いです。

現役の頃は、勤労収入-消費=貯蓄(または資産形成資金)という考え方でお金と向き合うことが多いでしょう。もちろん、勤労収入-貯蓄(または資産形成資金)=消費といった、“先取りの資産形成”を念頭に置くべきだといった指摘もあるでしょう。ただ、根本には「勤労収入>消費」という考え方が柱になります。

これに対して退職後は、逆に「勤労収入<消費」が原則です。退職後は、勤労収入が少なくなって生活費をそれだけではカバーできない時代と言い換えることもできます。

退職後は多様な収入をコントロールする時代に

退職世代の生活を示す等式として、私がよく使っているのが、

生活費=勤労収入+年金収入+資産収入

です。この等式で分かるのは、生活費は現役時代と違って勤労収入だけではカバーできず、年金収入や資産の取り崩しによる資産収入も当てにするという視点です。

ちょっと脱線しますが、2019年の夏に「老後2000万円問題」が喧しく注目を集めました。金融審議会市場ワーキング・グループの報告書の前段に書かれた1つのグラフから、“65歳以上の夫婦二人の無職世帯の生活費と年金収入の平均値を比較すると、毎月5万円強の「赤字」が出ることになり、30年間を累計すると年金以外に2000万円くらいの金額が必要になる”といった数字が大仰に報道されました。

今ではこの喧騒が若い人の資産形成の背中を押したともいわれますが、しっかり理解しておかなければならないのが、年金収入と生活費の差額が「赤字」と呼ぶべきものかどうか、という点だと思っています。

先ほどの等式をもう一度、振り返ってみます。そもそも退職後の生活費は年金収入だけでなく、勤労収入や資産収入も加えて賄っていくものだということを示しています。そのため、年金収入と生活費の差額は決して「赤字」ではありません。「赤字」と呼ぼうとするのは、現役世代において「勤労収入-生活費」がマイナスであれば「赤字」と呼んでいるのと同じ考え方で、「年金収入-生活費」がマイナスなら「赤字」と単純に考えているだけです。繰り返しになりますが、退職後の生活ではもともと多様な収入を想定した生活が前提になっていますから、もし「赤字」を定義するなら「年金収入+勤労収入+資産収入」の3つの収入で生活費が賄えない場合に、マイナスとするべきです。

資産収入への期待が高まる

ところで最近は地政学的な混乱や円安の影響から、穀物、エネルギー、物流価格が急騰し、これまでほとんど現実感が薄かったインフレの懸念が高まってきました。

インフレが退職後の生活にどんな影響を及ぼすかを先ほどの等式から整理をしておきましょう。インフレが起きれば退職後の生活費が上昇することになります。それを3つの収入増でカバーできれば問題ありませんが、それほど簡単なことではありません。例えば、インフレで賃金も上昇するのであれば勤労収入も増える可能性があります。現役世代でさえ、収入が増えないとの不満が高まっていますから、退職世代ではそれはあまり期待できません。それに退職世代には年齢的な限界があり、いつかは働けなくなります。

年金収入に関しても限界があります。現役世代の賃金が上がればそれにスライドする形で年金収入も増えます。しかしその上昇率は「マクロスライド制」の導入で、伸び率に上限がかかる仕組みになっています。そのため、年金収入増はインフレによる生活費増を補いきれるものにはなりません。

とすると、資産収入増に期待がかかることになります。そのためにも「資産活用」はインフレに弱い現預金だけではなく、有価証券を使った「資産を取り崩しながら運用を続ける」という姿勢が求められることになります。この資産を取り崩しながら運用することが、「資産活用」の要諦といっても間違いではありません。変動する有価証券を上手に資産収入化することが大切になります。

定額引き出しを見直す時期

日本の高齢者は、「年金以外に毎月10万円必要」といった定額取り崩しを希望する人が多いものです。しかし、変動する有価証券を使って資産活用をする場合、こうした定額取り崩しは想定外に元本を毀損する「収益率配列のリスク」を内包しています。

日本ではあまり馴染みがないのですが、海外ではこのリスクは重大視されています。例えば、運用期間20年で平均収益率3%を目指すとします。毎年きっちり3%の収益率が続くことはありませんから、運用開始当初に3%を下回ることが続くと、定額取り崩しの場合、想定以上に元本が減ってしまいます。その後、後半にかけて3%を上回る収益率が並んだとしても、元本が減っている分、残高の回復は弱くなります。結果として、「20年間の平均収益率は計画通り3%だったが、元本は想定以上に毀損した」こともあり得るわけです。これが「収益率配列のリスク」と呼ばれるものです。

これを、残高に対する定率で取り崩す方法に切り替えると、価格が上昇して残高が増えたときには多く取り崩し、価格が下落したときには取り崩し額を小さくすることで運用残高への影響を抑えることができます。その結果、「平均収益率が計画通り3%を達成できれば、元本は当初の想定通りの金額」となるわけです。この具体的な方法については、別のコラムでまとめることにします。

 

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コラム著者

野尻哲史⽒
合同会社フィンウェル研究所代表